【賽の河原】第2話 違和感のはじまり

1980年代──ある意味、ギラついていた時代。
そんな時代に僕は生まれた。

この40年間、技術は息をつく間もなく進歩し続けた。
ファミコン、携帯電話、インターネット。
次々と新しいものが生まれ、僕たちはそれに胸を躍らせながら大人になっていった。

しかし、バブルが弾けた後の日本では、大人たちの目がどこかくすんで見えた。


僕は子どもの頃からゲームが好きで、将来は“ゲームを作る仕事”をしたいと思っていた。
親のおかげで大学まで進学し、22歳で無事に卒業した。

その頃は、いわゆる「ITバブル崩壊」の時代。
IT業界に夢を見た若者たちが一気に増え、僕もその流れに憧れていた。

小学生の頃に抱いた「ゲームを作る」という夢は、いつの間にか「IT企業を立ち上げたい」という夢に変わっていた。

大学4年の頃、卒業研究の合間に「卒業したら会社を作ろう」と決めていた。
金もコネも人脈もない。
それでも、夜な夜な携帯アプリを独学で作っていた。
チャット機能しかないお粗末なものだったが、あの頃は本気で「自分にもできる」と信じていた。


だが現実は甘くない。
卒業を前に「まずは経験を積もう」と、親の会社に就職することにした。
学校に行かせてもらった恩返しの気持ちもあった。

子どもの頃は、それなりに裕福に育ったと思っていた。
誕生日やクリスマスには欲しいものを買ってもらい、私立の学校にも通わせてもらった。
苦労とは無縁だと思い込んでいた。

しかし、親の会社で働き始めて数ヶ月後、僕は“違和感”を覚えた。


会社は形をなしていなかった。
従業員同士の連携は取れておらず、毎年同じ販促を繰り返すだけ。
クレームは絶えず、雰囲気もどんよりしていた。
そして何より衝撃的だったのは──社長である父が、現場にほとんどいなかったことだ。

実際には裏で仕事をしていたのかもしれない。
けれど若かった僕の目には「人任せの会社」にしか映らなかった。

僕は一番下っ端として、先輩社員に仕事を教わりながらコツコツ覚えていった。
そんな中で感じた違和感。それは“給料”だった。


この仕事は季節によって忙しさのムラが激しい。
忙しいときは寝る暇もないのに、暇なときは驚くほど静かになる。

就職して数ヶ月、最初のうちは普通に給料をもらっていた。
けれどある時期から、なぜか支払いが遅れたり、金額が減ったりした。

それでも当時は実家暮らし。
「修行中だからこんなもんだろう」と、なぜかポジティブに受け止めていた。

手取りは3万円から5万円。
額面では20万円を超えているはずなのに、手元に残るのはわずかだった。

それでも僕は「いつか独立するための修行だ」と信じて頑張っていた。
今思えば、その無理なポジティブさが自分の成長を止めていたのかもしれない。


仕事は朝7時から夜8時半まで。
昼休みを除けば、ほとんど働き詰めだった。
慣例という名の“古い常識”があまりにも多く、誰もそれを変えようとしなかった。

会社には無駄が多すぎた。
僕は「もっと効率化できるのに」と思いながらも、どうすることもできなかった。

今振り返れば、あの頃から“自分の中の石”が少しずつ崩れ始めていたのかもしれない。

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