賽の河原第3話「見えない給料日」

賽の河原

弊社では、いまだにお給料は手渡しだ。学生時代、アルバイトの時から手渡しでもらったことはなく、初任給を手渡しされた時は驚いたものだ。

というか、ぶっちゃけ「ダサい」と思った。

しかし、世の中も昔から給料=手渡しが基本だったらしい。それがいつの日か、手間や防犯の観点から銀行振込にシフトしていったようだ。

もし、これを読んでくださるあなたの給与形態が「手渡し」だったら教えて欲しい。精神的な仲間が欲しい笑

仕事をはじめてお給料が途絶えたころ、前回書いたとおり自分は修行の身だからと上(親)には何も言わず淡々と業務をこなしていた。

週6勤務。休みは平日1日のみ。

しかもたまにクレームとかあると呼び出される(というか自分から行っていた気がする)

学生時代からの彼女がいた。彼女は一つ年上で、社会人。平日1日+日曜日が休みだったので週に1日は会うことができた。

20代前半からお互い結婚を意識し、将来の話や結婚式場の下見的なものもやった。

しかし、別れは突然やってきた。

時間が合わない。お金がない。将来が不安。結婚して家業をやりたくない(いや何度もやらなくて良いと言ったさ)。至極当然の話。

しかし、若かった自分は悔しかった。全てを侮辱された気持ちになった。

今思えば自分が悪かった。おそらく、家業を継がずに就職していればこんなことにはならなかっただろう。

でもね、自分の選択は間違ってなかったと思うよ。

就職していたら、おそらく家業は今より火の車(今もひどいですが、昔はさらに酷かった)

弟も職を失い、一家離散の未来が待っていたと思うから。

(うちの父は某ホームレス中学生の方のお父様みたく、「解散!!」ってやってくれたかな?笑)

それに、自分にも今は素敵な妻と子供がいるからさ。

だからこそ余計に今の自分の力の無さやもっと究極に努力できない行動力の無さに腹がたつ。悔しい。

ん?これってあの別れを切り出された自分と同じじゃないか。。。。

20年近く経っても自分は変わっていないのか?そう思うと怖くなってくる。

「給料日は見えない。

石を積んでも、崩されても、

俺はまた積む。

それしかできないし、

それが俺の“働く意味”なんだと思う。」

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